はじめに
世の中の人が「普通」に出来ることでも、コミュ障にとっては理解できないことが多い。そんなふうに感じたことはありませんか?
会話、雑談、友達付き合い、どれも当たり前のようにこなしている人を見ると「なぜそんな簡単に出来るのか?」と不思議に思うことがあります。
今回は、コミュ障の視点から「理解できないこと」について語ってみようと思います。
目的のない雑談
コミュ障である私も、まったく人と会話することが出来ないというわけではありません。
眼の前で起こっていることについてであったり、何か目的があってする会話であれば理解できます。
しかし、こと「雑談」に関してはなぜみんな当たり前のように出来るのかが理解できません。
周りの人を見ていると、何の脈絡もなくいきなり雑談をしはじめる人ばかりなのです。
雑談好きな人は「会話を楽しむため」と言いますが、話すこと自体が苦痛なコミュ障にとっては、できるだけ避けたい時間なので理解が出来ません。
複数人の会話に自然に入れること
誰かが話している場に後から合流しなければいけない時、あなたはどうしますか?
私は挨拶だけは出来てもその後上手く会話に入れないため、無言で同じ空間にいることしか出来ません。
しかし、世の中の多くの人は合流した流れで自然に会話に加わることが出来ます。
当たり前のように「何の話?」と会話に加わる人を見て、なぜそんな事が出来るんだろうと不思議に思います。
人といることが疲れないこと
コミュ障にとって人といることはとてもストレスになります。会話の内容、声のトーン、相手の表情…色々と考えすぎてしまって、終わった後にぐったりとしてしまいます。
私は最近ではコミュ障がどんどん悪化して、家族と一緒にいることすら疲れを感じるようになってきました…。
一方で、人といることが楽しいという人もいます。
人と触れ合うことで逆に元気になり、リフレッシュするという人を見て、どうしたらそんなにエネルギッシュに交流することが出来るんだろうと不思議でなりません。
水商売にお金を使う人
キャバクラやガールズバー、ホスト等に自ら大金を支払って人と会話する人がいることが理解できません。
コミュ障にとって人と話すというのは苦行です。
お金をもらって人と会話するならまだしも、わざわざ大金を支払って人と会話をしたいという思考が全く理解できません。
会社員時代、飲み会の流れで先輩に無理やりスナックに連れて行かれたことがありますが、本当に最悪でした。
ただでさえ飲み会で人と会話して疲れているのに、お金を支払って見ず知らずの人と会話をするなんて何が楽しいんだろうと不思議でなりませんでした。
まとめ
コミュ障にとって「普通」とされることが理解できない場面は多いです。
会話の流れ、人との距離感、雑談の目的…どれも謎ばかりです。
コミュ障が「普通」に生きることは出来るんでしょうか…。
コメント